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Posted by たまりば運営事務局 at

多摩川の夕焼け



夏バテでブログの更新も途絶えがちに………。ようやく朝晩、涼しさを感じる様になってきた。夜にはうるさい程の蝉の声に(近所の蝉は夜中の2時〜3時頃まで鳴いている)変わり、秋の虫の音が聞こえてきた。一日で鳴き声が変わるのには驚き。蝉と虫の鳴き声が混在すると云う事はないのだろうか? 行く夏を惜しんで多摩川の夕焼けです。  


  • 2012年09月03日 Posted by フジもと at 16:28Comments(1)徒然なるままに

    東寺方





    近所の古い写真を見つけた。上の写真は昭和41年(1966年)に現在の京王バスの「総合体育館入口」バス停前で撮影されたもの。「パルテノン多摩定点撮影プロジェクトwebギャラリー」からお借りした。下の写真は現在の風景。50年弱の間に右手の桜が大きく育っている。(その間に中学生だった私は立派なオバサンに成長face07)木陰に見える団地は昭和54年に建設された公社東寺方。(東寺方は多摩ニュータウンの区域外だが、古い団地は高齢化率が高いようだ。)それ以外の大きな変化はない。この辺りの番地は3ケタで、バス道路沿いには昔からの地域という感じが残っている。古い写真に写っている「川辺電気商会/ナショナル商会の店」が「Panasonic」に変わって今も営業しているのが嬉しい。川辺電機店の向こうの公園(昔は畑?)では毎年地域の夏祭りが開催されている。  


  • 2012年08月07日 Posted by フジもと at 09:54Comments(5)多摩の歴史

    オリンピック

    ロンドンオリンピック開催中。右のロゴマークは1964年開催の東京オリンピックのもの。大胆、シンプルなデザイン。五輪のマークのすぐ上に日の丸があるのはなぜ?
    五輪のマークを海に見立ているのか?チョット不思議。
    私にとっての最初のオリンピック経験(勿論見るだけですが)が東京オリンピック。敗戦後の急激な経済成長と国際社会に復帰のためのオリンピック。そんな意味合いを込めたアナウンサーの格調高い語りに、意味も分からず感動していたように思う。市川崑の「東京オリンピック」を改めて見返すことがあったのだが、時代の空気や今では考えられない様な場面など、オススメです。  


  • 2012年07月31日 Posted by フジもと at 17:35Comments(2)徒然なるままに

    せいせき多摩川花火大会

    長年続いてきた「せいせき多摩川花火大会」が当面の間中止となったみたいだ。
    始めてこの花火大会を見た当時は今より人出が少なく、対岸の土手に寝転んで見る事が出来た。
    自分だけに降り掛かってくる様な大玉の花火は感動ものだった。
    駅前で「花火募金」なんてやっていたものナァ〜。財政難という事なのかもしれない。
    早く再開されることを願って花火の写真を。タマヤ〜!!!



      


  • 2012年07月23日 Posted by フジもと at 17:25Comments(0)多摩の歴史

    多摩ニュータウン

    多摩の事を少し勉強して(小学生程度の)、自分があまりにも多摩に関して無知だったことが分かった。
    戦後の高度経済成長期、東京都の人口増大に伴う住宅難を解消する為に1965年(昭和40年)多摩ニュータウンの都市計画が決定。広大な多摩丘陵に多くの団地が建設され(恥ずかしながら、「平成狸合戦ぽんぽこ」は多摩ニュータウンをモデルにしていたことを、始めて知りました。)1971年(昭和46年)諏訪・永山等の第一次入居が始まった。




    その後、多摩センター地区、八王子市、稲城市、町田市の開発も進み2005年(平成17年)未開発用地を残し、都市基盤建設はすべて終了となった。残った用地は民間に売却され分譲マンション等が建設されている。第一次入居以来、半世紀近くが過ぎた多摩の団地では高齢化、人口減少等の問題が顕在化しはじめている。日本全体の人口が減少し始めている以上人口増加は望めない。多摩ニューユータウンの未来をどう創っていくか? ざっと大まかに記せばこんな感じでしょうか。これらの事柄はわざわざ私が書くまでもなく、web上に詳しい。
    写真の出典:パルテノン多摩歴史ミュージアム「写真で綴る多摩100年」より
      


  • 2012年07月19日 Posted by フジもと at 00:30Comments(7)多摩の歴史

    現在の風景

    前回の写真と同じ様な場所で(たぶんface07)撮り直したもの。川崎街道沿いにビルが建ち並ぶ。


    これは昭和44年、聖跡桜ヶ丘駅の開発・整備の写真。バスターミナルが並んでいるところを見ると駅の北口で連光寺方面にむけて撮影したもの(たぶんface07)。駅はこの年高架になり、京王桜ヶ丘ショッピングセンターがオープン。ボウリング場もあったらしい。「耳をすませば」の舞台「桜ヶ丘団地」もこの頃分譲が進んでいる。高校の先輩、山田風太郎さんの家もあるらしい。


    写真:パルテノン多摩歴史ミュージアム「写真で綴る多摩100年」より
    そして現在の駅の様子。昭和61年に新ショッピングセンターがオープン、63年京王電鉄本社も移転し駅周辺の再開発が終了。私が中央線沿線から多摩に越してきた時に感じた違和感は、街自体の新しさのせいだったのか。最近は中央線沿線も随分と変わってしまい、三鷹や国立に二本立ての映画館があった頃が懐かしい。


    京王電鉄はつい最近まで京王帝都電鉄と云うのが正式名称だった。チョットすごくない?  


  • 2012年07月11日 Posted by フジもと at 19:11Comments(0)多摩の歴史

    デジャブな風景



     上の写真は昭和30年代に一ノ宮から聖跡桜ヶ丘駅方面を撮影した川崎街道の写真。 


     この写真は昭和39年4月町制施行を祝う旧聖跡桜ヶ丘駅。この5年後に高架化され、昭和46年には市 制施行で多摩市となる。今からはチョット想像できない懐かしい風景。駅舎が超カワユイ。昭和60年 代で今の様な街になったとして、約30年程の間の劇的変化。このあたりは皆農業を生業としていたの だと改めて思う。農地は少しは残っているのだろうか?   
    写真の出典:パルテノン多摩歴史ミュージアム「写真で綴る多摩100年」より
      


  • 2012年07月06日 Posted by フジもと at 16:57Comments(6)多摩の歴史

    文章力

    先日のブログ講座でタイトルと説明文がイマイチと指摘され、少し修正しました。えらい時間がかかったのですが、それでもまだナンカな〜という感じです……。長年、文章力や語彙の豊富さを必要としない環境に身を置いており、それらの才能がないことをスッカリ忘れておりました。私のお気に入りHPほぼ日糸井重里が365日×10数年、一日も休まず文章を書いているのをスゴイ事だとは思っていたけれど、今は神業としか思えない。
    もう一点、少し女性らしさを出してみてはとのご指摘。すいません、それは無理な注文です。中身はオヤジなもので……。  


  • 2012年06月20日 Posted by フジもと at 14:37Comments(5)地域と私・始めの一歩塾

    やってみようか

    日本株式会社の衰退、3.11、ネットの進化、等々世の中随分と変わった。中央だけに向けていた目を足元に向け、自分の頭で考えていかなければいけない時代。ネットを見ていると若い人達がそれぞれの立場で様々な行動を起こしている。世の中の流れに乗っていれば何となく生きて来れてしまって、自分の頭で考えると云う事をやってこなかった自分にとってかなりの難問だ。ウ〜ン難しい! 
    たまたま多摩に住み着いて10数年。多摩のことを何も知らない。少し勉強してみようか……。  


  • 2012年06月15日 Posted by フジもと at 15:26Comments(5)地域と私・始めの一歩塾

    ブログ始めました

    6月4日「地域と私・始めの一歩塾」ブログ講座を受講。
    昨日は堀池先生のおすすめブログ「マイスタイル日記」→「Mystyle@こだいら」
    を見ていて一日が過ぎてしまった。
    スゴすぎ! 後を付いて行きたい……ナンテ云っている場合ではない。
    会社村と家との往復を繰り返していた身にとって「地域」は未知の領域。
    恐る恐るの第一歩、ブログ始めました。
      


  • 2012年06月05日 Posted by フジもと at 21:59Comments(4)地域と私・始めの一歩塾